スベリ芸の価値

スベリ芸の価値 役立つ考え方

スベリ芸ってあるじゃないですか。

本来面白いことをやって笑わせるというのがお笑い芸人の仕事ですが、すべることで笑わせるというのがスベリ芸です。

お笑いを見ている側からすると、ちょっとバカにするというか、下に見る風潮もあるかもしれませんが、スベリ芸も実は高度なんじゃないかと私は思います。

今回はそんな話。

人はなぜ笑うのか?

そもそも、人が笑うのはなぜなのか?

とても身近な感情の割にはっきりとは分かっていないようですが、有力な説の1つが「予定調和が壊れて、それを構築しなおす時に笑いになる」という説です。(不一致解消理論と呼ばれます)

私たちは普段生活していると、無意識に「これはきっとこうなる」と先を予測しています。そうしたほうが、危険を避けられたりするからです。

しかし、お笑いではそれを意図的にずらします。

「これはきっとこうだ」をずらされると「え?」となります。これがお笑いで言うところの「ボケ」です。

それをツッコミが指摘することで、「ズレの論理を理解すること」・「ボケへの共感」が行われます。

このときに人は笑いという感情を持つのだというのが、不一致解消理論です。笑いは「緊張と緩和」だと言うのも、同じことを言いかえているものだと考えられます。緊張が「え?」であり、緩和が「ズレを理解すること」にあたります。

逆に言うと、「論理のないボケ」「共感のしようがないボケ」は人を笑わせるのが大変です。ただ奇抜なことをやっても人が笑わないのは、そこに論理や共感性がないからです。これが本当の「スベリ」になります。

スベリ芸で人はなぜ笑うのか?

スベリ芸で有名な人としては、ますだおかだの岡田さんがいますね。

「ワオ!出た!閉店ガラガラ」ってやつですね(笑)

スベリ芸の基本構造は「お笑い芸人がスベるのをいとわない」という「ズレ」にあります。

普通は笑わせようとするので、笑いが起きないことは失敗なのですが、それを目指さないところに私たちはズレを感じるわけですね。

そして、それを周りの芸人さんにしっかりツッコんでもらうことで、人は笑うのです。同時に「失敗」を自分で笑いに変えるという構図は強い共感性をもたらすので、本当の意味でのスベリにはならないわけです。岡田さんの場合、自分で「閉店」してしまうのがミソですね。

スベリ芸の価値

しかし、スベリ芸は単体の「ネタ」として消費されることはほとんどありません。スベリ芸の多くはひな壇芸人の多いバラエティートーク番組で見ることができます。

これはスベリ芸自体がメタ的にバラエティー番組という一つのパッケージの中でこそ、重要な役割と価値を担っているからだと思います。

その役割とは「場を和ませること」です。

バラエティー番組に出る芸人さんは、「爪痕を残す」ことを多かれ少なかれ頭に入れているはずです。だから、「笑いをとらなくてはいけない」と。特に若手芸人さんはこの傾向が強いはずです。

そこにスベリ芸をやる芸人さんがいると「安心感」が生まれます。

「すべっても笑いにしてもらえる」という安心感があればボケやすくなりますからね。また、見ている側としても、にぎやかし的存在がいてくれることで、番組に明るい印象を持ちます。

つまるところ、番組全体に漂う緊張感を緩和し、番組全体を面白い雰囲気(なんでも笑いに変える雰囲気)にすることがスベリ芸の価値なのだと私は考えています。

そこで大事なのは「共感性」であり、失敗しても愛されるキャラクターです。場を和ませなくてはいけないので、攻撃的なボケは基本的にダメで、スベるにしても正しいスベリ方をしなくてはいけないわけです。

このあたりに高度なテクニックが必要で、やはり素人の「スベリ」と芸人さんの「スベリ芸」には大きな違いがあるのではないかなと感じます。

失敗は悪とは限らない

こういう芸から私たちが学べることは、「成功ばかりが善ではない」ということです。

常に成功を目指すことも悪いことではないですが、全員がそういうことを考えている社会は息苦しいです。

人間は必ず失敗します。その失敗を「悪」だと捉えることは簡単ですが、時と場合によっては、それが「価値」になることもあるのです。

「価値」はタイミングや環境、見せ方によって変動します。

自分の価値はどんなところで活きるだろうかと考えることで、違う生き方を見つけることができるかもしれません。

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